お遍路さん気分でゆこう
週末 四国八十八か所おさんぽ旅 in 今治
【第1回】近見山宝鐘院 延命寺
お遍路さん気分でゆこう
週末 四国八十八か所おさんぽ旅 in 今治
四国八十八か所の札所は、平安時代の僧である空海ゆかりの場所で、どのお寺も長い歴史に彩られており、それゆえに個性的。それぞれのお寺の、それぞれの物語をたずねる週末のおさんぽ旅。もちろんおさんぽには、ランチとスイーツが付きますよ~♪
五十四番札所 近見山宝鐘院 延命寺
(ちかみざんほうしょういん えんめいじ)
四国をぐるりと一周するお遍路さんが、松山から今治に入って最初にお参りする札所が、五十四番札所の延命寺。
延命寺は、天平年間(729~749)に全国をめぐって修業した僧、行基が不動明王を彫り、今治市街地西部の近見山(標高244メートル)山上に安置したことが始まりとされる。のちに、嵯峨天皇の信任を得ていた空海(弘法大師)が、その勅願を受けて荒れていた寺を再興した。
不動明王は、どうして怒っているのだろう?
掃除のゆきとどいた境内で、日本各地、あるいは全世界から訪ねてきた人々が手を清め、まず鐘をつく。その鐘楼のほうから、じき3歳の娘が駆け寄ってきた。
「おかあさーん、おばあちゃ~ん!」
私はあわてて「ご住職よ!!」と訂正するが、ご住職は「よう走るねぇ」とニコニコしている。ここ延命寺のご住職、池口照順さんは女性なのである。やさしく響くお声で、ときに快活なお話しぶりにすっかりひきこまれているうちに、何人ものお遍路さんが「ごぉーん」と鐘をついては、本堂、弘法大師の御影が安置された大師堂と順にお参りし、納経所で御朱印を受けて、次の札所へと去っていく。
娘につられ、つい童心に返ったような心持ちになり、ご本尊であるお不動さん(不動明王)について、ご住職に素朴な疑問を投げてみた。
「あのぅ、お不動さんってなんでこわい顔をしているんでしょう? ほかの仏様は、やさしい感じなんですけど、お不動さんはなんか……、怒られているのかな?どんな気持ちで向き合えばいいのかな?って……」
「うんうん、そうねぇ」
ご住職は笑ってうなずきながら、「お不動さんはねぇ、悪い心を退治してくれる」と、じつにすっきりおっしゃった。
それを聞いた瞬間、すっとお不動さんが本堂の奥から私の心に飛び込んできて、なんだかとても親しみ深く感じられるのだった。
「だからね、ここの豆まきに『鬼は外』はないの。ここに来たら、みんな福になる。福しかおらんから『福は内』だけ」
延命寺の不動明王(秘仏)は、戦乱のため何度も焼かれそうになったが、それらをまぬかれたため、「火伏(ひぶせ)不動」と呼ばれている。山頂から現在の場所に移って、もうすぐ三百年というお話である。
そよそよ流れる水路と遍路道の道標が案内するおさんぽコース
延命寺周辺を散策するおさんぽコースは、五十五番札所南光坊への遍路道。
おもに歩き遍路がたどる道を約1㎞散策する。
まず本堂に向かって右側、江戸時代の庄屋、越智孫兵衛の墓の脇からお寺の墓地を通り抜ける。すると、さっそく「こちらですよ」と指で方向を指し示したイラスト入りの道しるべが。道しるべをたよりに歩くなんて、まさにお遍路さん気分!
墓地を下り、お地蔵さんに見送られると、田植えをしたばかりの水田の脇に出た。細い水路が、ゆるやかに下る坂道のずっと先まで続いている。ちょろちょろと水が流れる水路は、遍路道右手の斜面へ分かれ、またその先も分かれてふもとの裾まで、四方八方余すところなく棚田へと水を送る。その流れに応えるように、耕作を休む田はほとんどなく、水田の中にぽつぽつと建つ家々から、ときおり農作業に出てきた人の姿がある。水路の上流に目をやれば、草がきれいに刈られた堤防と水門が見えた。ため池があるのだ。
じつはお寺に到着する前、近くで今回のおさんぽランチを調達しておいた。店は、県道38号線沿い、松山方面から来ると、延命寺を示す道路標識のすぐ手前にある「弁当屋まい」。「まい弁当」を選び(品数の多いお弁当が多種類。オール600円!)、店を出てお寺へと歩き出したのだが、標識の手前で心ひかれる曲がり道へと足を進めてみた。道の先にはため池があり、脇の道を今は青葉の桜のトンネルをくぐると、「へんろ道」の碑があって無事参道へ。すると、今度は寺のすぐ横にも、またため池があった。ご住職に、これらの池のお話を聞いてみた。
越智孫兵衛さんがこの地のヒーローである理由
「江戸時代、池や側溝の普請がありよったときにね、このあたりは収穫が少なくて貧乏しとったんです。そのときの庄屋さんが越智孫兵衛さん」
越智孫兵衛さんといえば、今回のおさんぽの出発点、境内の本堂前のよく目立つ位置にお墓があり、また、おさんぽの道中でも、孫兵衛さんの大きな顕彰碑を見ることになる。
いったい何者だろう?
ご住職のお話によると、普請工事中は農作業がはかどらず、人々の仕事ぶりを見張る代官に対して、見回りの前夜、孫兵衛さんは人々を集めて一計を案じた。当日、見回りに来た代官は、怒って孫兵衛さんのもとにやってきた。「けしからん、よその人々はおにぎりを食べながら一生懸命働いているというのに、ここの人々は昼間から酒を飲んでいる」と。酒のようなものを飲むことは自身の指示だったが、孫兵衛さんは「え!」と驚いたふりをし、昼食をとっていた人々のもとへ行き、代官のもとへ戻ってきた。そして「あれは、酒ではありません。ここの人々は自分たちが食べる米もなく、麦をおかゆにして、そのおかゆさえ汁ばかりのものなのです」と、逆にこの地の窮状を訴えたのだった。
「そんな訴えをしたら、大変なおとがめをうける時代だったのに、『そうかね、そんなに困っとったんかね』と言うてくれたんじゃと。それで七公三民だった年貢を六公四民に変えてくれた、いうてね、その後餓死する人が出なかったということで、今だに、年に一回慰霊祭をしとるんです」
新型コロナ流行の影響でここ数年は代表者が供養のお参りをするのみだが、毎年、供養祭には地域の人が大勢訪れ、供養塔の前でお経をあげた後、直会(なおらい)が催されるという。
十里四方に響いた伝説の鐘のお話
右手にお地蔵さんが見えてきた。その左側にも六地蔵があり、「近見百坊の名残り笠坊」との看板が見える。約1200年前、空海が再興した延命寺は傘下に百坊をそなえた一大修行道場となった。鎌倉時代には奈良・東大寺の僧、凝然が延命寺の坊のひとつで仏教の概論書『八宗綱要』を書き上げた……と、なんだかすごいことが起こっているが、今は草に包まれた石仏に心が和むばかり。
ふと気づけば、今治の幹線道路からほんの数キロ入っただけのこの山里で、耳に入る音は自分の足音とウグイスの鳴き声だけ。この静けさならば、「宝鐘院」と号する延命寺の鐘も十分響きそうだ。
「その音色は十里四方に響いたんじゃと。今の松山くらいまでね……ま、それは言い過ぎやと思うけど」と、後半はぼそりと言い足したご住職。延命寺に伝わる、昔々の伝説の梵鐘のお話である。美しい音色をもったこの梵鐘は、戦乱にまぎれて賊に盗まれた。船に乗せられた鐘は、なんと「いぬる~~いぬる~~(帰る~~帰る~~という意味の今治弁。若者はほぼ使わない)」と鳴り出した。このお話の「いぬる~~」の部分、ご住職が語ると、本当に鐘の音のように不思議と響く。たたりをおそれた賊がお寺へ戻そうとしたが、梵鐘は“みずから”海へと“身を投じ”沈んでしまったという。
おさんぽの終わり、伝説の始まり
見渡す限りの水田を後にして、瀬戸自動車道と高架下で並行する道を右へ曲がり、芝生の広場に土器を模した巨大なオブジェが置かれた阿方貝塚史跡公園でランチの時間だ。梅雨の晴れ間で蒸し暑いが、田んぼのおかげでときどき涼しい風も吹いてくる。
「阿方貝塚を発見した人。これは越智熊太郎さんというクリスチャンで学者さんです。そう、あの孫兵衛さんの子孫。今お寺で使っているのは、戦後にできた釣鐘なんだけれど、山門の手前の軍人墓地の上に今治市の指定有形文化財になっている鐘があるんです。日本では終戦の直前に鉄砲の弾が足りなくなり、全家庭の金物類を全て供出するようにとの号令が出たの。お寺では釣鐘がねらわれて、あの鐘もいよいよとっていかれそうになった。そのとき熊太郎さんが、これは延命寺の大事な歴史が刻まれているので供出するのはこらえてもらえませんか、と県の役人に願い出てくれたんです。そういうことを言ったりしたら投獄されかねないような時代。ところが、『そうかね、そんなに大事なものだったら、国に言うてください』と。そうして国に申請したら、なんと『そうかね、そんなに大事なものだったら、一度見に行きましょう』と。敗戦前に、なんとのんきなこと、と思いますよねぇ。熊太郎さんが、明日は国の役人が来るという夜、何と言おうと考えたらまんじりともできなかったという話が伝わっとるの。そうしたらその直後、東京大空襲が起こったんです。その混乱で、とうとう国の役人は来なかった」
その後に、海中に沈んだ伝説の鐘を太郎、供出をまぬかれた鐘を二郎、そうして今の鐘を三郎と名前をつけて、呼ぶようになったという。
いや、もう二郎も伝説の鐘といえるだろう。
“そうかねの鐘”とか……。
三郎もいつか、兄たちと同じく、土地の人々を見守り愛された伝説の鐘となってゆくのだろう。
歴史を旅する、なんだか壮大なおさんぽとなったものだ。……気持ちを落ち着かせるため、公園からほど近いパン屋さん「アーリーバード」でおやつだ、おやつ(おさんぽしたのだから、と”禁断“のあんドーナッツ)♪
せっかくのおさんぽびより、帰りにかわいい野間馬を眺めて、奥深いお遍路さんの世界から、ゆっくりと日常へ戻っていくことにしよう。
構成・文・写真/薮谷恵(Flowers Know)
旅のおとも ぶじカエルくん
棚田からは「ゲ、ゲ、ゲコッ」と低い声。声の主は、ぶじカエルくんより大きそうだ。