お遍路さん気分でゆこう
週末 四国八十八か所おさんぽ旅 in 今治
【第4回】府頭山 無量寿院 栄福寺

お遍路さん気分でゆこう
週末 四国八十八か所おさんぽ旅 in 今治

旅のおとも ぶじカエルくん

色とりどりの葉がはらはらと舞うおさんぽ旅。彩りも味も豊かなお弁当でお腹を満たしてからたどりついたのは、“なんかおもしろい場所”。お寺って、わくわくする場所でもあるんです。

第五十七番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺
(ふとうさん むりょうじゅいん えいふくじ)

弘仁年間(810~824)に弘法大師が瀬戸内海の安全を祈願して、府頭山(現・八幡山、日坂山とも)山頂で護摩法を修法。満願の日に海から現れた阿弥陀如来を本尊とし、お堂を建立したのが始まりといわれる。のちにこの山頂には、神仏習合の八幡宮も建立され、その別当寺であった時期もあるが、明治の神仏分離令により、現在地である山の中腹に移転した。

里を見守る鎮守の森

蒼社川の河川敷で、「四村ショッパーズ」で買ったお弁当をほおばる。ほぼワンコインでこのクオリティ。かつて今治市街の中心で、大人も子どもも大好きだった「ダイエー今治ショッパーズプラザ」(後に「ザ・ショッパーズ」となった)を懐かしく思い出す。子ども用に買ったエビフライ入り巻きずしも一切れつまんで、すっかり満腹となり、今回の目的地栄福寺のある八幡山を眺めた。
 八幡山は、高縄山系の支脈で標高92メートル。地図を見ると、高縄山から楢原山、鈍川渓谷と広がる山々が八幡山まで連なっている。“半島”のように平野へと突き出ているため、人々との関わり合いも濃厚で、信仰の対象でもあり親しみ深くもある山だ。

今治市街から近づく八幡山は、田んぼが広がる里に接し、それでいて圧迫感はなく、空や集落に溶け込むようにこんもりと茂る森が南北に伸びている。

蒼社川の土手より望む八幡山
おいしいのはもちろん、季節感もあって楽しめる「おむすび弁当(550円)」
栄福寺のかわいらしいデザインの看板。蒼社川の支流、谷山川沿いにたつ。ロゴ、看板デザインは県内の女性デザイナーの手によるもの
エビフライ入りの巻きずしは一切れでもなかなかのボリューム。「自家製エビフライ巻(450円)」

古社を訪ねて、森の奥へ

県道155号線から谷山川沿いへと進み、森が眼前に迫ってきた。車道脇に建つ鳥居を左に曲がって、まずは八幡山東側の水路沿いを歩く。

山頂付近に鎮座する石清水八幡宮を訪ねてみようと思ったが、鳥居の先の階段は、「通行止」となっている。参道はほかにも栄福寺の裏手にもあるのだが、こちらも通行止。この日はあきらめたが、後日、もうひとつ通行可能な参道があることがわかった。

八幡山の東側。美しい道だが、「マムシ注意」というおそろしい看板も……。進むと道沿いに「伊加奈志神社」、「石清水八幡宮」の鳥居がある
弘法大師がここで瀬戸内の海上交通を祈願したと伝わる
道沿いに建つ鳥越地蔵尊。看板によると、むかし「城下塔」という城があったが、戦争で落城。城主は自害、残された家族も失意のうちにこの世を去った。あわれに思った村人がお地蔵さんをつくっておまつりしたという
石清水八幡宮。貞観元年(859)の建立と伝えられる。鎌倉時代には厚い崇敬を集めたが、戦国時代には戦火に焼かれた。後に再建され、現在の本殿は寛政4年(1792)、拝殿は文化13年(1816)に建立された
石清水八幡宮の南参道へ続く道。峠を越えると栄福寺へ

八幡山の東側には、もうひとつ鳥居があって、その先に鎮座するのは伊加奈志神社。今治で「いかなし」といえば、五十嵐だが、地名はこちらが発祥らしい。

伊加奈志神社は、延喜式にも記された古社で、古代伊予国の「総社」であった可能性のある神社だ。「一宮総社大明神」と称したという伝承があり、「総社川」(蒼社川はかつて総社川と書かれた)は、総社の近くを流れているために名付けられたという説がある。

鳥居をくぐって急な石段を上がり始めると、さっきまでの明るさや騒音がなくなり「しん」としている。石段の上には、思いがけず、苔むした静謐な空間があり、昼下がりの光が社のほうから射しこんで、ひとり別世界にいるような感覚になった。由緒あるこの神社は、今治藩の祈願所でもあったというが、安政5年(1858)、火事で古い記録も宝物も焼失したという。

伊加奈志神社の鳥居
先が見えてはきたが、うーん、きびしい。足ががくがくしてきた。もう少し、もう少し
鳥居の外は、道路建設が進んでいた。これからまた新しい景色が作られていく
一歩一歩でどんどん森の奥へ入っていくような石段
石段を上った先には、しばらく見とれてしまうような、静謐な空間が広がっていた

心もおなかもほっこり満たされるおまんじゅう

谷山川沿いの道路まで戻って来た。栄福寺へはこのまま山の西側を行くが、ちょっと寄り道をして「武田屋」で八幡饅頭を買っていく。明治創業の老舗のおまんじゅうは、今治駅構内やスーパーなどでも買うことができる人気のおやつだ。ふわっと蒸しあげられた薄い皮の中に、黒糖風味のこしあんが詰まっている。子どものころから、うす茶色のおいしいおまんじゅう=やわたまんじゅう」として頭に刻まれていて、ここ石清水八幡宮のある「八幡」の地名に由来するとはこれまで知らずにいた。

創業から百年以上、ここで地域の銘菓が作り続けられている
小さな手に持たせてくれたおまんじゅうは、なによりおいしいにちがいない

秋を愛でつつ、のどかすぎる山里を歩く

道しるべがあり、栄福寺へと続く山沿いの道へ。昼下がりということもあって、神社をお参りした山の東側は静かで神々しい雰囲気だったが、こっちの西側はのどかでぽかぽかとあたたかい。田んぼ沿いの細い道を、車を気にすることもなくぶらぶら歩いていく。

時々、パシっパシっと音がするので「何者!?」と一瞬身を固くしたが、木の実の落ちてくる音だ。

数々の道標が道を教えてくれる
他の季節にもぜひ歩いてみたい
野菊が可憐に咲く山道が見える
ん? どっち?? 赤い印のほうへ坂を上がる。……正解、栄福寺の前に着いた
何も考えず、ぶらぶら歩ける最高のさんぽ道
赤くて小さなイヌタデの花。ちなみに、「蓼(たで)食う虫も好きずき」の蓼は葉に辛みがあり、白い花のヤナギタデ
枝の先にかわいらしいカラフルな花。枝葉に悪臭があるといい、クサギというかわいそうな名前がついている

コンパクトなお寺がまとう“良い空気感”

栄福寺はコンパクトなお寺だ。八幡山に抱かれているような立地のおかげで鐘楼、納経堂、大師堂、本堂と少しずつ高低差があり、それが足を自然と本堂まで導いてくれる。

ご住職の白川密成さんは、映画化もされた『ボクは坊さん』(ミシマ社)をはじめ、数々の著書で知られる。今年(2023年)、ご自身が四国八十八か所を歩いて巡礼された記録『マイ遍路』(新潮社)が発行された。ご住職がお遍路としてお参りされたときのお寺の印象は、以下のとおり。
「十時半に山の中腹にある栄福寺に着く。見慣れた寺だ。札所の中では小さな寺だが、あらためてこの寺が美しいと感じられることが有難い。ここが僕の「ホーム」である。」(『マイ遍路』p207より)

入り口でやさしく佇むお願い地蔵尊。願いごとをかなえてくれるといい、お遍路さん、地元の人とお参りに来る人が絶えない
鐘楼から本堂、大師堂を見上げる

なんだかゆったりした心持ちになり、あちらこちらに座って長居したくなるようなお寺だ。先を急ぐお遍路さんたちも、大師堂の前で立ち話したり、お願い地蔵の前で名残惜しそうに立っていたり、振り返り振り返り写真を撮ったり。この魅力はどこからくるのだろう?

「訪れた方々、みなさん口をそろえて“空気感が良い”、“気持ちの良い空間”と言ってくださるんです」

ご住職の奥さま、あかねさんにお話を聞くことができた。あかねさんはご実家がお寺というわけでもなく、お寺や仏教に親しむ環境にいたわけではなかったが、中学生のころ抱いた「お坊さんになりたい」という一心で僧侶となった人。僧名は法慧(ほうえ)さんという。ご住職とは密教の勉強会で知り合い、12年前、こちらに嫁いでこられた。

「なにかお坊さんになりたいと思ったきっかけはあったんですか?」
「お坊さんが素敵だな、と。拝んでいるお坊さんの姿を見て、これと同じことがしたい、体験したいと思い、その道一筋に来たので……」

とくにきっかけはないらしい! ……そういう人も、いるのだなぁ。

あかねさん。こちらの質問や話をしっかり受けとめて返してくださる、穏やかで落ち着いたお話しぶり
大師堂は山頂にあった建物を移築したと伝えられる。軒下には十二支が刻まれているが、「未(ひつじ)」だけが見つかっていないという“謎”がある
本堂。脇に、箱車が置いてある。これは足の不自由な少年が栄福寺をお参りした際、不自由な足が治癒し、そのご利益に感謝して乗っていた箱車を奉納したもの

「お坊さん」たちからのメッセージ

思えば、「お坊さん」ってどういった存在なのだろう? 長い歴史をその場に留めたかのようなお寺に居て、世俗からは隔離されたイメージだが、今の時代を私たちとともに生きている。

栄福寺には、歴史あるものと、おしゃれな看板やロゴ、モダンな演仏堂など、こだわりがあって素敵な“今っぽいもの”が同居しているが、そこにはおふたりの思いがある。
「多くの人に気軽にお寺や仏教にふれてほしい。そういったことを目標にして、いろんな切り口でお寺に興味を持ってもらえるきっかけづくりができれば、と住職とともにつねづね考えています」
ご住職も著書に、子どものころから僧侶になりたかったと書かれていた。強い意思を持ってお坊さんになった人たちが、お寺を通して何かを表現し、私たちにメッセージを送ってくれている。この栄福寺の“良い空気感”は、そういったところからも生まれているのかもしれない。

お掃除好きのあかねさんによって美しく掃き清められた境内は本当に“気持ちの良い空間”
モダンでありながら、古いお寺に馴染む建物、演仏堂

四国遍路の魅力を再発見

あかねさんは、ご結婚前に四国外から、お仕事の合間の休日を利用して、四国八十八か所を巡ったことがあるという。そのきっかけを尋ねると、目がキラリと輝いた。
「親戚がお参りしてきて、見せてくれた掛け軸が格好良かったからです!!」
「……わかりますーーーーっ!!」
わたしも食いついた瞬間だった。八十八か所巡りは札所で御朱印をいただくのだが、納経帳というノートタイプのもののほかに納経軸というものもある。わたしは今、一番から三十七番までの御朱印をいただいているが、うーん、やはりお軸にしておけばよかった……。という思いが盛り上がる。
「そうだ、次からはお軸にも御朱印いただこうかな」と私は思いついた。
四国遍路は、一番から順に巡っていくことを「順打ち」といい、八十八番から逆順に巡ることを「逆打ち」という。が、じつはお参りの順番にとくに決まりはなく、どこから始めてもどのような順番で巡ってもよいのだ。そして、何度巡ってもよい。延命寺のご住職にも、何度も受けた御朱印で重くなったような納経帳を携えたお遍路さんのお話を伺ったことがある。ぐるぐると数えきれない足跡で刻まれた大きな輪に、すっと飛び込めばいいだけ。この大らかさが、世界中に札所巡りのファンを作る要素のひとつなのだろう。

納経所内ではお遍路さん関連グッズやおまもりの販売も。どんどん増えていくご住職の著作も並ぶ
やかんの形の身体健康のおまもりは、薬師如来さまのもつお薬をやかんで煎じて飲むことをイメージしている。全5色、各700円
「こちらは栄福寺の完全オリジナルですよ」

お遍路とのコラボレーション企画の数々

最近市内で外国人のお遍路さんをよく見かけるが、お遍路さん自体の数は急速に減ってきているという。
「“お遍路さん”という文化をどのように発信していこうか、ということはよく住職とも話し合っています。幸いなことに、四国八十八か所というこの“宝もの”を、お寺の者以外の人が、よく気にかけてくださっていて。たとえば市内の短大の先生が、こちらでお接待の体験を授業として行ってくださったりとか、保育園や幼稚園の子どもたちが遠足で来てくれたり、手作りのお守りでお接待をしてみたり。これらの活動に私たちもたくさん気づかされることがあり、とても有難いことだと思っています」
ほかにも栄福寺から次の札所仙遊寺までの親子遠足や、アドベンチャー、サバイバルの要素を含んだ全国規模で募集された歩き遍路体験など、バラエティ豊かな企画の数々だ。

納経所から休憩所へ、雨にぬれずに移動できるよう美しい瓦が続く

ここは“なんかおもしろい場所”

「こちらには、狭いですけれど休憩スペースがあり、地元の方がお接待したいということでよく来られるんです。コーヒーをいれてくださったり、お菓子や、畑の果物を持ってこられる方も。お接待というのは、弘法大師さんへのお供えという意味合いもあるのですが、みなさんここに来ると、それこそ世界中から訪れるいろんな人たちと交流できる、という楽しみもあるようです」
たしかにここは、国際的な文化の交流点でもある。こじんまりとした休憩所が、古代のシルクロードのオアシスのように思えてきた……!
「お接待は、誰でもしていいのですか?」
「あ、はい。日時をおっしゃっていただき、空いていれば、こちらでお接待していただいていいですよ。みなさん楽しんで活動されていて、そういう点では、地元の方にとってもここが“なんかおもしろい場所”ではあるかなと思っています」
なんだか、わくわくしてきた。世界中から人がやって来て、バラエティ豊かな企画が繰り広げられている場所なんて、そうあるものではない。
次はどんなことに、どんな人に出会えるだろう?と、何度でも足を運んでみたくなる。それがまた”良い空気感“を生んで、のどかな里のお寺は、みんなにとってのHomeとなっていく。

栄福寺から見る、里の風景
うーん、いくつ食べても止まらない

構成・文・写真/薮谷恵(Flowers Know)